コース説明

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コース1:狛江~登戸(約3.1km,60分)

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コース1は、小田急線「狛江」駅から、
旧:多摩川の土手沿いに歩き、
登戸の渡しがあった場所にある現在の水道橋をわたって
「登戸」駅までたどり着く約3kmの道のりになります。

狛江駅から世田谷通りに出た反対面に見える、
当時の面影を残す細い小道を楽しんでみてください。

このコースでは、多摩川でも有名な「鮎」のメダルをご用意しました。
その昔、東京都と神奈川県の県境を流れる「多摩川」や
神奈川県央を流れる「相模川」などの上流で捕れる鮎は、
上質なことから「御用鮎」として街道を江戸に運ばれた歴史があります。

※狛江から来た場合、水道橋を渡った所で河原側に降りてください。歩道がありません。夜間は灯りがありませんので日中のプレイ推奨。

コース2:登戸~向ヶ丘遊園(約 1km,20分)

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コース2は、小田急線「登戸」駅から、登戸駅前商店街をぬけ当時のままの姿を残す街道を「向ヶ丘遊園」駅の南口まで歩くコースです。

商店を抜ける際にある吉沢石材屋と北向地蔵・馬頭観音のあたりは、
伊豆や真鶴の石材は渡し場のすぐ下流にあったよどみから荷揚げされ、その船着場は「石屋河岸」と呼ばれていました。

また向い側角の北向地蔵と馬頭観音は江戸時代のもので、特別なご利益がある子育て地蔵・馬の保護神として有名です。

途中にある「柏屋」という割烹料亭は、江戸時代に多摩川河畔の登戸宿が栄えていた頃から現在に至る老舗宿屋です。
明治末から料理屋もかね、なまず料理が有名です。

その他にも登戸宿は、狛江や溝の口よりも多くの居酒屋や煮物屋、
下駄づくり、干菓子づくり、紙漉き、馬鞍・提灯づくりなど、種類も豊富な職人の町でした。

さらに左官職人が多い町としても横浜、八王子、埼玉方面まで評判が伝わっていたといわれています。
でも、現在残っているのはここ「柏屋」だけとなってしまいました。
しかも、この風景も2016年より大規模な区画整理が予定されていて、津久井道としての名残が見れるもあとわずかとなっています。

※登戸から来た場合、最終ポータルは向ヶ丘遊園駅の南口になります。駅の西側に地下道がありますので、そちらをご利用ください。

コース3:向ヶ丘遊園~生田(約 2.7km,50分)

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コース3は、「向ヶ丘遊園」駅から生田の山道へとはいっていきます。

「向ヶ丘遊園」駅を出発して府中街道とぶつかる部分に「橋」があります。
小泉橋という名前で、ここは二ヶ領用水にかけられた橋で、豪農小泉利左衛門によって天保15(1844)年に木造の橋から石造りの橋に架け替えられました。
現在は区画整理で綺麗な橋になってしまいましたが、歴史的には重要なものでした。

この街道がぶつかる小泉橋周辺や、そこから少し先にある多摩警察の裏手の大道橋があります。
この橋は津久井方面と菅生方面に分かれる「追分」となっていたのですが、この周辺「榎戸」という地区では、その地の利をいかし、
明治 20 年(1887 年)頃から「そくざし(仲買人)」商売が始まったとされ、絹問屋の荷車や馬車が、繭を運ぶために毎日のように往来し、また、馬宿・たばこ屋・床屋・傘屋・車大工等が並ぶ賑やかだったそうです。

榎戸を抜けると、丘の裾を縫いながら、新道の右になったり左になったりしながら、小田急とともに多摩川の支流である五反田川に沿って
分水嶺の百合ヶ丘まで遡っていきますが、昔は山かげの道なので、山からしみ出した水や落葉などでいつも道がぐちゃぐちゃして、車をひいて行く人は「じごく」と呼んで嫌がっていたそうです。

※町田・世田谷道の歩道は狭くなっていますので、スレ違いや車などとの接触に十分ご注意ください。

コース4:生田~百合ケ丘(約 3.6km,80分)

コース4は、「生田」駅から、生田のお伊勢さまとされた高石神社を経由しての「百合ケ丘」駅までのコースです。

この辺りは、旧道と新道とが重なったり離れたりを繰り返します。
旧道は現在の新道より身の丈ほど高いところにある道となって、マンション、住宅の間を縫っていきます。

よみうりランドまえ駅前の小田急の踏切を渡って、駅前通りを過ぎ、
再び新道に戻ってきたところに義経ゆかりの二枚橋があります。

ここは治承4年(1180)の秋、義経が奥州の平泉から弁慶や伊勢の三郎・駿河の次郎たちを従えてかけつける途中、橋が粗末なものであったので、馬も通れる橋に造りなおした。
その橋は丸太を並べた上に土を盛ってあり、横から見るとのし餅を二枚重ねたように見えるので「 二枚橋」と名付けたところから付いたそうで、今でも近くには「ニバイバシ」というお菓子屋さんがあります。

その先には、最大斜度は25%の上り坂があり、昇りって行くと江戸時代は「伊勢宮」と言われ、この辺りは「お伊勢の森」と呼ばれていた神社(現:高石神社)に着きます。
主神は天照大神で、百合ヶ丘駅から北方を眺める樹木が茂った天辺にあり、標高117m、その昔は房総の山が霞み往時は品川の沖に白帆を望見する事が出来たと言われています。

ここでは一風変わった狛犬にも出会えます。
また、境内の向かって左側には「三匹の石蛙」が置かれ脇には【若】・【銭】・【福】と刻まれていてご利益があるそうです。

※町田・世田谷道の歩道が狭い箇所がございます。十分注意をして歩行ください。
※高石神社への坂道は、傾斜が大変きつくなっております、悪天候時の転倒にご注意ください。

コース5:百合ケ丘~柿生(約 3.8km,70分)

コース5は、「百合ケ丘」駅から弘法松という山道コースです。

現在の新百合ヶ丘駅へ向かう道は大正以降にできた新しい道、それ以前は南側の丘陵地帯のぼりいく山林だったそうです。

もちろん新百合ヶ丘北側(万福寺方面)へ向かう道はあったそうですが、地盤が悪かったため人々は弘法松コースの方を利用していたそうです。

今のような道になったのは大正十年、この地域で陸軍の大演習が行われる際に、大砲等の重機を運搬出来るようにと、万福寺コースを整備されたのが、現在の世田谷・町田街道。
昭和36年に現在の道として完成した新しい道なのです。

本コースでは、ポータルの数の関係上、柿生周辺は茶臼山公園付近になっていますが、本来は「上麻生北第4公園」からその先の道路をくぐって小田急線まででるのが街道になります。

メダルは、この周辺鎌倉時代前期に甘柿として発見され、柿生という地名の由来にもなった「禅寺丸柿」です。

この柿は最盛期には街道を通って江戸にも流通したことから「赤い道」とも称されたほど有名でした。
しかし、大正以降は新種の登場や都市化の進展によって昭和40年代には一旦姿を消してしまいました。

現在は保存会が結成されて復活をし、平成19年に登録記念物に指定されました。
現在では10月21日を「禅寺丸柿の日」として日本記念日協会にて登録されています。

※弘法松公園は公園内を通り抜けていただくと階段がございます。
※夜間は暗い場所もあります。また住宅街ですので日中のプレイ推奨です。

コース6:柿生~新百合ヶ丘(約 2.4km,45分)

コース6は、「柿生」駅から「新百合ヶ丘」駅へ、万福寺コースを再現したコースになります。

こちらは麻生区上麻生と片平の間を流れる麻生川沿いに植えられている染井吉野桜並木を眺めながら新百合ヶ丘へ向かう形になります。ポータル数が少ないので川沿いをひたすら歩くことになってしまいますが、川から望める左右の多摩陵を眺めてみてください。

この辺りの丘陵から切りだされた木々は「黒川炭」という名前がついていました。

江戸時代の中頃にもなると、人々の暮らしも豊かになり、畳が敷かれた部屋では暖房に木炭が大消費される江戸への輸送が必要になります。

しかし、その輸送のほとんどが水上輸送によるものでした。
佐倉炭は千葉港から、津久井炭は相模川の荒川港から炭船によって運ばれていましたが、その中で黒川炭は江戸に近いということもあり、陸送ができるのが特徴でした。そのため江戸の近い村では、一部仲買問屋を通さずに、行商に歩いていたことも「風土記稿」に記されています。

しかも、黒川炭のうち、クヌギで焼いた桜炭はとても良質で「黒光りする皮を付けた炭」と江戸で評判だったといわれています。

しかし、昭和30年代にも入ると次第に都市ガスやプロパンガス、石油などの化学燃料の普及に押され、木炭の使われる機会がどんどん減り「黒川炭」というブランド名で名を馳せたこの町の炭焼きも、一軒、また一軒、と姿を消していってしまいました。

※一部、歩道がない箇所がございます、車の往来などに十分注意してプレイください。

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